MSBS自主開催ミュージアム04
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 テキスト部門 No.008
  苦味の苦労 by LT0093F / イナ・ノーノ

強い眠気と疲れが体に重く圧し掛かる。
お陰でさっきから頭も体も鈍くて重い。
少し仕事を続ける事に限界を感じて椅子から立ち上がると体を解す事にした。
首と肩を回し、腰と足首を捻り、腕と背筋を伸ばす。
座りっぱなしで硬くなっていた体に血が巡るようで何とも気持ちが良い。
ほんの少しだけだが、疲れと眠気がましになった気がする。
「もうこんな時間か・・・」
立ち上がったので壁に掛かっている時計が目に入った。
時間は深夜、本当ならとっくに家に帰って眠っている時間なのだが、今日は残業でまだ会社だった。
いつもなら寝てる時に仕事をしているかと思うと何と言うか馬鹿らしいと言う思いがある。
大きな欠伸を噛み殺してデスクの上のカップを手に取ると、すっかり冷めてしまった中身を飲み干す。
それにしても・・・・
「これってこんなに美味いものだったんだな」
しげしげと空になったカップを見つめる。
カップの底に申し訳ない程度にへばり付いている黒い液体。
ついこの間まで買おうとも思わなかったのに・・・・。


「これはどう言う事かね!」
苛立った大声が会議室に響き、その声の大きさと甲高さに何人かは顔をしかめた。
「ですから、αリーグを1ヶ月から2ヶ月休止に・・・」
「だからどうしてそんな事になったんだ!分かるように説明したまえ!」
穏やかな声が事情を説明しようとするが、半ば激昂気味の男性の荒々しい声がそれを遮った。
「うるせえな。少しは黙ってろよ」
小さな声で言ったつもりだったのだが思ったよりも声が大きくなってしまい慌てて周りを伺う。
何事も無い周りの様子にほっと胸を撫で下ろすが、すぐについ不満を口走ってしまった自分に恥ずかしくなった。
でも、つい口を滑らしてしまうほどあの男が気に入らない事も確かだった。
睨みつける視線の先に立つ中年男性、その男は大手のスポンサーの一人だ。
MSBSはスポンサーからの広告費を主な収入源として運営されており、それによって参加者はほぼ無料でプレイする事が出来ている。
また、MSBS職員の給料も元は広告費から出ているので、間接的に見ればこの五月蝿い男から給料を貰っているとも取れるのだが、ちっとも感謝の気持ちは沸いて来ないし感謝するつもりも無かった。

MSBSの参加者の中にも個人的にスポンサーと契約を結びお金を稼いでいる参加者、プロプレイヤーとも言える者が存在する。
違う部署の同期にそんな話をされた事を思い出した。
最初は軍に所属していたMSパイロットなどがその腕を買われて契約を結ぶ事が多かったらしい。
しかし、全体から見ると一般人の方が活躍しているケースが多く、今では一般人で契約している人も多い。
平和な時代が続き軍人も実戦不足な事、軍で採用されている軍事用MSの進歩によってMSBS用の機体よりも乗りやすい事、それに加えてMSBSはシミュレーションなので、撃墜したからと言って人が死ぬ事はないし、人を殺す事もない。
これが戦いにおいて大事な「覚悟」という物の必要性を無くし、結果として一般人でも活躍出来ることに繋がっているのだそうだ。
久しぶりに会ったのにつまらない話をしやがってと半分流して聞いていたので詳しくは憶えていないが、確かこんな話だったと思う。
まあ、MSBSはあくまで娯楽なんだし、軍人やらが幅を利かせないのは良い事だ。

「新バージョンに移行する際に不具合が発生した事と何者かによってセキュリティーに攻撃があった為、今回しばらくの休止を決断致しました」
自分を含めて、この部屋にいるほとんどの人間は今回の事情を知っている側だから、驚きはしない。
しかし、今回のトラブルを公表した事にはやはり緊張を感じる。
「そ、それは本当か!?ど、どう言うことだね、それは!?」
一人今回の事情を始めて聞いたスポンサーは驚きを隠せないようで声が少し震えている。
それにしても、全部洗いざらい言っちゃったか・・・・てっきり少しは誤魔化すかなと思っていたんだけど。
うろたえてるスポンサーを少し観察した後、さっきからスポンサーに対して説明を行っている方の男を見た。
すらっとした長身のその男性は広報部の部長を勤めている人だ。
広報部と言うのはMSBS本部と参加者やスポンサーを結ぶ窓口で、参加者やスポンサーからの質問、クレーム、逆に彼らに対しての告知などを管轄する部署だ。
この広報部長はクレーム処理などに定評があり、この年齢で部長にまで昇りついた出世頭だ。
正直に言ったのはその方が良いと判断した所為だろう。
「セキュリティーの攻撃の件に関しては責任者の方からご説明させていただきます」
広報部長の口から自分の名前が呼ばれる。
心の中で3つほど数えてから立ち上がり、大型スクリーンの前へと移動し軽く自己紹介をする。
「ご説明させて頂きます、一昨日の未明にMSBS本部のサーバーに対して何者かの攻撃を確認致しました」
出来たばかりの資料を手に出来る限り落ち着いて説明を始める。
「しかしながら、攻撃を受けたのは第一セキュリティーのみで大きな問題はありません、情報等の漏洩もありませんでした。ご安心下さい」
「ご安心下さいだと!第一のみとはいえ突破されとるじゃないか!本当にここのセキュリティーは大丈夫なんだろうな!」
広報部長の時と同様に説明を遮るようにスポンサーが口を挟む。
「本部のサーバーには大きく分けて5つのセキュリティーで備えております、1つごとに数十の防壁があり、非常に強固なセキュリティーになっていると自負しております」
スポンサーは舐め付けるような目付きでこちらを一瞥すると、嫌らしい声でこう言った。
「ほう、非常に強固な、ねぇ・・・・君はここのセキュリティーに自信があるようだが、今回のトラブルの前に同じ事を聞かれていたら”万全なセキュリティー”ですなどと言っていたんじゃないかね」
何て嫌な事言いやがる、心の中に苦い物が広がる。
この仕事に就いている人間として、セキュリティーに万全なんて無い事は知っている。
しかしスポンサーにこう言った質問をされれば相手を安心させる事も考えて「万全です」と答えていただろう。
それにしてもどうしてこう言うタイプの人間は皮肉や嫌味だけこうも上手いのだろうか。
相手の心がある程度分かるなら、思いやりとか配慮にその才能を活かせば良いのに。
ひとしきり心の中で悪口を並べて不満を表情に出すのを何とか抑えた。
資料を読み終えるとタイミング良く広報部長が後を引き継ぎ、今後の対応や日程などに付いて説明へと話を移す。
穏やかだが良く通る声、冷静で的確な説明、百戦錬磨の広報部長の説明に五月蝿かったスポンサーにも落ち着きが生まれるのが自分にも分かった。
そして、その様子に今回の説明会が無事に終わるだろうと会議室の誰もがそう思った。

「疲れてるようだね。どうだい、コーヒーでも、奢るよ」
慣れていない状況での説明にぐったりしていた所に広報部長が声を掛けてきた。
「あ、はい。ありがとうございます、頂きます」
一瞬断ろうかなとも迷ったが、せっかくの申し出を無下に断るのも失礼と思い、素直に好意を受け取る事にした。
自販機へと向かう廊下を並んで歩いていると広報部長の背の高さが良く分った。
「大手のスポンサーの中であの人が一番ごねる人だから、明後日の説明会は楽になると思うよ」
正式にスポンサー達を集めての説明会は明後日に開かれる予定だったのだが、今日の件は向こうから押しかけてきたのだ。
全く持って迷惑な話だが、昨日とかに来られないだけマシだった、何しろ自分が説明する資料が完成したのは今日だったのだ。
「ブラックで良いかね?」
「はい、ブラックでお願いします」
広報部長は空いている自販機の2台のボタンを色々と押し、2つを同時に作り始める。
本当はブラックは苦手なので「クリーム有りで砂糖は3杯でお願いします」と言いたい所なのだが、奢ってもらうのに色々注文付けるのも気が引けたので黙っておいた。
こう言う小さな我慢も小さな処世術と言えるのか、どうなのか?
ついさっきまでスポンサーへぶつぶつと文句を言っていた自分の態度は綺麗に記憶から消えさっていた。
カコンと軽い音がしてカップが落ち、そこに黒い液体が注がれていく。
自販機の側のベンチに座りぼんやりとそれを眺めながら、しばらく忙しくなる事に気が滅入る思いが膨らんだ。
破られたのが第一セキュリティーのみとは言え、これから新たにセキュリティーを強化しなくてはならない。
今回の犯人が愉快犯的なハッカーなのか企業テロ、企業スパイの仕業なのかは分からないが早急に新しい物を組み上げる必要があるのだ。
当分は残業続きになるのは間違いない。

「ありがとうございます」
広報部長が差し出した右手から湯気と独特の香りが揺らぐカップを受け取る。
自分の手にある黒い液体を見た後、もう一つの液体が黒ではなく茶色い事に気が付いた。
「あの・・・それって」
「ん?ああ、私はどうもブラックが苦手でね。クリームも砂糖も多めの方が好きなんだよ。娘にまで子供っぽいと言われているがね」
広報部長は少し照れながらはにかむような表情を見せる。
それを見ながら一口コーヒーをすすると独特の苦味が口の中に広がった。
それならそうと最初に言ってもらえれば自分も砂糖とクリームを頼み易かったのに・・・・・駄目元でも言えば良かった。
そう思うと口の中の苦味がより一層に強くなったような気がした。

コーヒーを飲んでいる間、どちらからとなく自然と世間話になった。
部署が違う事もあって普段話す機会も無いのでこう言う交流も貴重だった。
と言っても話題を多く持っているわけでもないし、共通の話題もまだ見つけ出せていないので必然的に世間話からすぐに仕事の話になってしまう。
こう言う時、つくづく何か趣味を持てば良かったと思うのは仕事人間の性だろうか?
「当分は残業になりそうです、他の部署の人達が羨ましいですよ」
今回の長期休止で部署によってはかなり暇になる所もあり、これを機会に慰安旅行をしようという話も出ているらしい。
逆にセキュリティー部門は普段よりも忙しくなり、しばらくの残業続きは決定済みだ。
ちょっと差がありすぎやしないかと冗談めかしてとは言え愚痴もこぼしたくなる。
「君の所も一段落すれば、休暇が貰えるはずだよ。多くの参加者が早い復帰を望むだろうし、大変だろうけど、頑張って欲しいな」
広報部長の言葉に納得しそうになったが、すぐに納得するのも悔しいので少し抵抗してみる。
「上手く乗せようたってそうは行きませんよ」
「舌をどれだけ上手く回せるかがうちの仕事だからね」
そう言うと広報部長が口を開けて実際に舌を動かしてみせる。
その様子に不覚にも笑ってしまい、広報部長もつられて笑う。
この人は本当に人当たりが良いと言うか聞き上手というか、広報部長と言うポストがピッタリな人だ。
今日の説明会での説明もさすがの一言で、五月蝿いスポンサーが徐々に静かになっていく様は見ていて気持ち良かった。
「そうやって文句を言ってくる参加者を黙らせてるんですね」
「いや、マナーが悪いのは極一握りだよ。ほとんどの参加者は話せば分かってくれる人ばかりで助かってるよ」
やや皮肉っぽく笑ってそう言ってみたが、広報部長はやんわりと笑ってそう答えた。
MSBSの2000人を越える参加者の中には今日押しかけてきたスポンサーではないがクレームを付けたり変な質問をしたりする人も居る。
何度かその手の話を聞いていたので多いのかと思っていたが、自分の耳に届くような話は特にマナーが悪い参加者の話だったのかも知れない。

「さて、そろそろ私は行くよ。今夜は少し大変だからね」
コーヒーを飲み終わると広報部長はベンチから立ち上がる。
「残業ですか?」
「いや、今夜はあのスポンサーと飲みに付き合う事になってね」
会議室での甲高い大声が記憶に甦る。
あのスポンサーとか・・・あいつの酒癖がどうかは知らないがもし自分だったら遠慮したい、何が何でも遠慮したい。
飲みに付き合わせるところを見ると、あのスポンサーは広報部長を気に入ったのかも知れない。
もしそうなのだとしたらその気持ちは分かる、広報部長は人間的に魅力のある人だと自分も思う。
今日始めてあのスポンサーと意見が合ったのだが、残念な事に全然嬉しくない。
やっぱり、自分とあのスポンサーとは相性が悪いらしい。
「じゃあ、君も頑張ってくれ。またな」
「あ、お疲れ様でした。ご馳走様でした」
広報部長の背中に軽くお辞儀すると、部長は振り返らずに手を軽く振りそのまま廊下の奥へと消えていった。
一人残され、あまり好きではないブラックコーヒーをちびちびと飲み続ける。
「部長も大変だな、あのスポンサーと飲むなんて・・・」
当たり前の話だが自分だけが苦労しているわけじゃないと言う事を再確認させられる。
今回のトラブルで一番不幸なのは自分だと言う想いが正直あった。
でも、他の部署の人だって大変なのは変わらない。
自分達よりも普段から忙しい部署の人が休みを貰う事を妬んだりしてどうなるものか・・・・
口の中にコーヒーの苦味が広がるにつれて、心の中の苦味が薄れていくような気がする。
コーヒーの苦味が心の苦味を持って行ってくれる、そんな感覚。
心の方のわだかまりが口の中に苦味に気を取られただけかも知れない。
でも少なくともけして不快では無かった。

ようやく飲み終えたカップをゴミ箱に入れようとして、ふと思いつき足を止める。
そして今度は逆に大股で数歩下がってゴミ箱から距離を取る。
空になったばかりのカップに色んな思いを満たすと大きく振りかぶりゴミ箱へと放り投げた。
カップは勢い良く空へと滑り出すと綺麗な弧を描きゴミ箱へと消えていった。
その様子を見届けるとゴミ箱に背を向け自分のデスクへと駆け出した。
清々しい今の気持ちが醒めない内に、駆け出したかったのだ。
あれこれと考えるのはもう終りだ。
もう苦いのはコーヒーだけで十分なのだから。

 詳細

【作品名】  苦味の苦労

【作 者】 LT0093F / イナ・ノーノ

【サイズ】 16384 bytes

【コメント】
D氏、ZD氏、デー担氏、D氏の奥様に日頃の感謝を込めて投稿させて頂きます。
本当の休止の理由は皆さんご存知のようにおめでたい理由からです、一応。

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